乳がん治療の記録

白血球が回復せず終了 抗がん剤治療の記録6クール目

2016/12/15

(前回の抗がん剤5クール目の記録は、別記事:白血球減少で延期 抗がん剤治療の記録5クール目に書いてあります。)

5クール目の治療が終わって退院した時点では、すでに抗がん剤に慣れ、あと1クールを残すのみとなった状況から、体の不調も心がカバーできるようにもなっていました。

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入院している間に子供が成長していた

 

0歳児というのは3週間も入院しているとその間にすっかり成長しています。喜怒哀楽の表情がとても豊かになっていました。もし、保育園に預けずに、無言で無表情で吐きながら私が子供の世話をしていたら・・・
haihai
どんなことになっていたか想像もできません。したくありません。

私たち親子の命は、保育士さん、家族、親戚、みんなに少しずついただき、これからもいただかなければならないかもしれません。お返しは出来ないかもしれない。せめて、せっかくもらったものを粗末に生きないようにしたい、子供に伝えたいと思っています。

CMF療法最後の入院 抗がん剤6クール目

いよいよCMF最終月の入院です。

前回5クール目の時と同じく、白血球が減少しており、抗がん剤が1週間延期になりました。そしてまた前回と同じく、白血球を増やす1本1万円以上する高~い注射を打ちました。

全く前回と同じ傾向にありました。高い注射の副作用の発熱は37.5度、それが引いたあと、主治医に、次の抗がん剤まで2泊ほど外泊しますか?と言われましたが、子供が保育園からもらって風邪ぎみとのことだったので、白血球の増減が激しい時に、風邪気味の子供との接触は控え、ここはじっくり慌てず、治療が出来る体づくりに専念するため外泊はしませんでした。

1週間遅れて6クール目1回目の点滴

点滴後はいつもながら吐くのですが、ほんとうにいつも通り吐きました。長くても点滴後5日目には吐き気はなくなっているのですが、1週間おいた2回目の点滴の時まで吐き続けました。

最後の点滴6クール目2回目は中止

さて、いよいよ最後の点滴、これで終われるのだから、あと1週間くらいもう、どんな苦行でも受け入れます。そう思っていました。

白血球の値が700になっていました。(正常範囲3300~9000)今度は主治医の判断で、延期ではなく、中止という選択がなされました。

延期ではなく中止にしたのは

6クール(1クール2回の点滴)=12回
5クールの2回目だけ中止   =11回

予定12回の抗がん剤点滴を11回にしたところでの再発率は変わらないだろうという事、白血球の数値にふりまわされて先延ばしの先延ばしにして最後の1回をするよりも、これからも長い経口抗がん剤服用の予定があるのだから、もうそれをはじめましょう。という事でした。

なんだかやることやった感がいまひとつスッキリしないのですが、気持ちを切り替えて3日後には退院しました。今度は高い注射は打たず、点滴の抗がん剤をしないだけで一か月後の白血球は3500に回復しました。

抗がん剤初回から最後までの約7か月間まとめ

抗がん剤はCMFといわれる、標準的には通院で行う、副作用の少ない、脱毛も少なく仕事も両立できる人が多いといわれるものでした。個人差も大きく、私の場合は残念なことに副作用が多い方でした。それは、抗がん剤をする前から治療前半期にかけての睡眠不足が後半の回復期の立ち直りを悪くさせたからだと思います。

1クール目

通院で点滴。副作用は思ったよりなく、あまり髪の毛は抜けない。

2クール目

吐き気が軽いと油断し、抗がん剤をした日に天ぷらを食べてからずっと吐きまくり。これが今後ずっと尾をひいているのかと絶賛後悔中。髪の毛が多少抜けるが全然残っている。

3クール目

抗がん剤と育児の両立が出来ずに精神的に一番病んだ。脱毛はこの時点で止まる。CMF療法によるの脱毛率は2~3割だと言われるが私は5割ほど抜けた。

4クール目

通院を入院に切り替えたため、子供を預け、体を休め楽になれた。体が楽になると精神も楽になった。

5クール目

白血球が減少したので1週間延期して点滴をした。吐気と倦怠感のピークであった。

6クール目

1回目を1週間延期、2回目を中止。このページの記事上部記載のとおり。退院からすぐに経口抗がん剤を飲み始め、1年半飲み続ける予定とした。


以上、2002年当時、私のCMF療法の記録でした。お読みいただき、ありがとうございました。

                      

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