乳がん治療の記録

育児の限界 抗がん剤治療の記録3クール目

2017/06/13

抗がん剤3クール目 2クール目の反省

(2クール目の抗がん剤の様子は、別記事:髪の毛はあまり抜けないけれど 抗がん剤治療の記録2クール目に書いてあります。)

3クール目は絶不調、抗がん剤した日に天ぷら食べた私はもう、救いがたいアホなんですが、私の隣で点滴していた抗がん剤の大先輩がさわやかに言いました。

「抗がん剤した日は普段控えてる添加物やらが入っている、体に悪いけど好きなもの食べてから吐くよ!☆彡どうせ、吐くんだから、ここぞとばかりに味わうチャンス☆★☆!」

・・・すごいモチベーションで、感激しました。

しかし、天ぷらを腹いっぱい食べるのはその後の胃腸と治療に差し支えるからさすがにしちゃいかんだろー( `―´)ノと一喝されました。

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3クール目の1回目の点滴後

点滴後の夜中から吐きまくりです。これが副作用の軽いCMF療法なんか?じゃ、世の抗がん剤をしてる人はもっともっとすごい事を耐えているの?私は甘えなの?

子供の面倒が見れない、ミルクをあげてなかったことがあった。泣いても放置。オムツをすぐに替えれなくて、やっとオムツを開いた時のおむつに嘔吐。
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子供のおむつどころか、自分の嘔吐が片付けられない。トイレから帰ってこれない。この時点で、もう、子供を預けなければならなかったのです。ですが、それをしませんでした。もう生後57日以上を経過して、保育園に入れるというのに。

何故かというと、単純です。

手放せなかったのです

子供にも良性かどうか分からない腫瘍がありました。(詳しくは別記事:がん細胞は、胎盤通さないはずだよね。に書いてあります。)子供のほうの診察、心配は主人になすりつけていました。

家族ともども病んでいきました。それは、癌をきっかけに閉鎖的に暮らしていたからです。誕生と癌と子供の腫瘍、3つを一度に受け入れる受け皿と機転も備えていませんでした。家族以外に助けを乞うことを、そんな単純なことを、みんなが疲れて麻痺して思いつかないのです。

保育園の「一時保育」は、健康な母親がリフレッシュの為に預けれるというのに、どうして、病気で本当に困っているとき、これを使うことを思いつかないのか?健康であれば思いついたことが病気の為に思いつかないなんてことは今だにあまり人に話しても信じてがたい心理のようです。本当は

わざと思いつかないよう自分を麻痺させていたのです。

思いついたら、「今生の別れのような錯覚

があったからわざと思いつかなったのです。その時は家族が一丸となって悪い方向へ向かっているようでした。

癌患者の会とか、同じ病気をもつ人の集まりとか、家族の会とか、行きませんでした。隣人とは癌をきっかけに顔を合わせることを避けていました。家族も、私が癌であることは隠していたかったのだと思います。

昔はそうだったんだと思います。私の今までの入院していた病棟、点滴に通った時も周りに若い女性の患者さんはいなく、情報に乏しく閉鎖的な環境のなかで、一言言われれば気づくその一言を聞く耳をもっていませんでした

子供が無事だったのは奇跡かも。相当可相そうな事をしました。ものすごく・・・罪です・。ごめんね息子。

3クール目2回目の点滴後 ちょっと嫌な事が…

もう、限界なんだけど。と思いながら点滴をしました。帰りは、病院前の玄関で乗車待ちしているタクシーに乗りました。私が調子悪そうにしていると、ミラー越しにじろじろ見て、

「なんの病気なの?若いのに、かわいそうだねぇ。」と声を震わせながら話してきました。

「病院で出待ちしてるのに、病人が珍しいのですか?」と静かに言ってしまいました。

後で気がつくと、局所的に一部分(片側の耳の後ろ)が楕円状に綺麗に禿げていました。抗がん剤の副作用なのか、ストレス性の円形脱毛症なのかはわからないけど、その時の自分にとってはどちらでもよかったので追求しませんでした。時期と抜け方から思うに、多分後者のほうだと思っています。

これを運転中のミラーでじろじろ見られていたのでしょうか。突然「なんの病気なの?って・・・」次病院から乗る時はこのタクシー会社を避けて利用することにしました。

子供だけをを実家へ預ける

家に帰るともう動けない。実家だって、忙しくて子供を引き受けられない事情があるのを分かっていたのに、子供だけ実家へ預けてしまいました。その後、私の母親が仕事しながら子供の世話をしていました。

55歳の私の母は、職場でも肩身の狭い思いしながら出来る時には出社し、寝る時間を仕事に充て、毎度毎度休んでごめんなさいと平謝りしていました。私の周りは、どうして身を削って寝ずにいて、保育園とか利用しないのか?なぜ悪循環を繰り返すのか。

次回の4クール目まで、ずっと吐き続けていました。

あのときの「天ぷら」は悪い方向への分岐点なのか・・・

(ですが、過ぎ去った今トラウマにならずに天ぷら大好きです!とくにカラット揚った山菜の天ぷらに粗塩ウマーイ(゚д゚)

「閉鎖的環境」と「抗がん剤直後の脂っこいもの」は大失敗でした。

                      

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