乳がん治療の記録

通院から入院に切り替え 抗がん剤治療4クール目

2016/12/15

CMFという抗がん剤は、副作用が少ないと言われているため、通院で可能です。仕事と両立出来ている人もいます。ですが、それには個人差があります。私は副作用が強かったかもしれないけれど、15年経った今、振り返ってその事を落ち着いて綴る事が出来ています。

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抗癌剤と育児の両立が出来なかった

(抗がん剤3クール目の記録は、別記事:育児の限界 抗がん剤治療の記録3クール目に書いています)

私は抗がん剤と育児の両立が出来ませんでした。

「かわいい子供の顔を見たら辛さなんてふっとぶだろう?」

そんな事を言われても、ふっとばない・・・そんな自分が情けなく、なんでもかんでも落ち込んでいた時でした。

白血球減少で入院

抗がん剤治療も半分の予定期間こなしたので詳しい血液検査をしたところ、白血球がかなり減少していました。それ以外にも栄養失調に近い数値であったり、貧血であったりしたので、大事をとって入院しての抗がん剤を勧められました。

私は後の段取りも考えず、生活から逃げるように入院治療に切り替えました。入院予定期間はとりあえず2週間です。退院して2週間自宅で過ごし、また次の抗がん剤の時に2週間入院する事を3サイクル繰り返す予定にしました。

もっぱら、好きな時に勝手に飲んで、好きなように食べます。入院患者の定番、「テレビ」は見たくない気分でした。ドラマの主人公が癌だったり、癌を取り上げた健康番組や、癌の芸能人が頑張ってる会見など。その時の私は、それを見たくなかった。

知らずにチャンネルを合わせて一瞬でも目に入ってしまうのも、怖かった

その頃に、病棟でwifiが使えていたなら、自分が見たい動画をずっと見ていたんだろうなと思います。ちなみに、私は何をしていたのかというと、科学雑誌「Newton」や「日経サイエンス」などを読みあさり、宇宙に思いを巡らせていました。突然ハマったのではありませんよ(笑)もともと宇宙には興味があったのです。

抗がん剤4クール目 入院治療の様子

抗がん剤の点滴自体は一時間で終わります。検査や手術の時の目まぐるしい動きや変化などはなく、検査結果を怯えて待つこともありません。本当に一日中ベットに座ってるか寝ているだけです。

気分転換に院内の散歩はよくしました。大きな病院だと、なるほど、この機械でアレを調整しているのかぁ!なんて自分なりの刺激とかを受けていました。

とにかく、もう、泥のように眠り、時々起きて吐く。食事の時間が来ても気づかず寝ていたら看護師さんが持ってきてくれます。入浴は、抗がん剤を点滴した日から吐き気がある3~4日は清拭だけにしていました。というか、とことんさぼっていたかっただけなのです。病衣で過ごしていたから、洗濯物は下着とタオルだけ。三日くらい溜めて病棟の洗濯機で洗います。

ぐうたらしていても、周りもだれも掃除とか炊事とか育児とかしてない(あたりまえですが)寝てるだけの人の中で、随分、ゆっくりとした時間を過ごせました。
kaimin
これは選べるならばの話ですが、

  1. 入院ベースの人が通院点滴を試してみる。
  2. 通院ベースの人がちょっと入院してみる。

すると、なにかいいスイッチが入るような気がします。担当医や看護師さんに希望を伝えつづければ、叶うかもしれません。

私は、積もり積もった疲労があったため、退屈なんて、ちっとも思いませんでした。ですが、同室の同じような症状の人はそれぞれの生活基盤があるように、入院していてもさまざまでした。

  • ある人は、通院治療に切り替えたい、外泊許可もほしいのに心電図がちょっと不安な波形を出してなかなか医師の許可がおりず、なにかとよく泣いている。
  • ある年配の人は、家族がありながら誰一人と病状の説明を聞きに来ない。
  • ある人はいつもナースコールを押しまくり。
  • ある人は見舞客と見舞いの品で常に華やか。

そういう人たちがお互いの生活を垣間見て暮らしています。病人同士、意気投合してそれが治療の励みになることもあるようですが、私の場合、これまでに入院した部屋内ではあまりそういうことはありませんでした。

一方、子供は保育園に入園しました

私が入院した事により、どうしようもなくなった周りがやっと、子供を預ける手段をとりました。ここにきて、やっとです。倒れる前に子供を預けない。倒れないと子供を預けない。今までみんな、寝ずになにやってたんだ。

「一回預けると今生の別れになる」ような気がするという病的な思考から解き放たれました。

まずは、保育園の「一時保育」の空いている時にフルに預ける事をしました。その間に、私の母は仕事、睡眠、他の用をこなし、平日の夜に母が保育園に迎えに行き子供は実家でお泊り。

保育園が休みの日曜日は丸一日夫が子供をみる。ベビーシッターの利用も考えました。

あくまで一時保育なので、予約がいっぱいの日はお断りするかもしれません。と言われていましたが地域的にあまり保育園の定員もそこまで多くはないようだったので、断られることは一回もなく、抗がん剤終了のこれから約三か月間毎日預かってもらえました。

子供を見捨てた気分になったり、生活と治療が両立できない事を悔んだりする思いは少しずつ薄れていきました。ただでさえ癌などということにダメージを受けている心を消費しないよう、社会の恩恵は受けていいと思います。

二週間も寝させてもらったら、子供を普通にあやす、話しかける事が出来るようになりました。退院してから次の入院の二週間のあいだ、そうしてやっと、普通の思考で心から子供がいとおしく思ったのでした。

                      

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