乳がん治療の記録

乳がん手術後の入院中、腕上げリハビリと心の様子

2017/03/14

乳がん手術2日目から退院までの入院生活の中で、リハビリを前向きに頑張る反面、精神的には落ちていった様子を綴ります。

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乳がん手術から2日目の腕上げリハビリ

(乳がん手術と翌日については前回の記事、乳房温存手術と腋窩リンパ節郭入院から手術翌日までに記載しています。)

ごはんが食べられそうだったので、点滴から解放され、ある程度自由になりました。ですが、ドレーン(脇腹から出ている管と排出液を貯める容器)は引きずったままです。まだシャワーが許可されてないので、清拭(蒸しタオルで汚れをふき取る)をしたのですが、わきの下を拭くのが痛い!

腕を上げ下げするリハビリ頑張ってますよ。
udeage
しかし、痛いですね。とは言え、今からやっておかないと、後々もっとリハビリが痛くなる、長くなると言われていました。

リハビリの効果が出ない時期があった

ちょっとだけここで退院後の話に飛びます。私は退院してからも真面目にリハビリをしていました。それはまるで、柔軟体操をして、少しずつ少しずつ体が柔らかくなっていく進み具合に似ていました。手術後2週間くらいで水平くらいに上がりましたが、その少しづつ順調だった時が、一時的に停滞、または後退する時が来ました。手術後3~4週間くらいの時だったと思います。腕が日に日に上がらなくなってくるように感じました。

私の勝手なイメージですが、手術をした皮膚以下の組織が回復をするさいに縮んで、腕が上がりにくくなっている時期なのではないかと思いました。やけどが回復時にひきつれるイメージに似ています。とくにリハビリを強めたり弱めたりせずに、これまで通りやっていたら、さらに2週間後くらいに、なにかの壁を乗り越えたかのようにぐっと腕が上がるようになりました。

痛くなく万歳が出来るまでの期間は半年以上要したかもしれません。この経過は、術式や手術の範囲、個人差によって幅は広いと思います。

リンパ節を取った方の脇の下の汗が少ない

一生懸命力を振り絞ってるのですが、不思議な事に、リンパを取った側の脇の下だけは汗をかかないんです。15年経ったいまでも、リンパを取った側は汗が少ないです。代わりに、健側の方が2倍近く汗かいてる気がします。

そして、これは私だけ、気のせいかもしれませんが、足の膝小僧の裏もよく汗をかくようになりました。まるでリンパ節を取った側の機能の衰えを配分しているかのように思います。

乳がん手術から3日目、シャワー、シャンプーに苦戦

上半身は清拭(蒸しタオルで汚れをふき取る)をし、下半身だけシャワーが許可されました。片方の脇が上がらない状態で、ドレーンが邪魔だし、間違って濡らさないようにする事にも気疲れしました。看護師さんが最初、シャワーをするのに(補助は必要ですか?)と聞かれたとき、お願いすればよかったかなぁ。

入院前に持ち込んでいた「洗い流さないシャンプー」を使ってみたのですが、これは香りがきつく、同室の人に迷惑をかけたかもと思いました。量が適切でなかったかもしれません。あまり解決できなかったので、看護師さんがシャンプーをしてくれました。こんなお世話までしてくれるんですね。とても申し訳ない気がしました。

乳がん手術から4日目、現実逃避

私のところへはお見舞いに誰も来ません、それは入院していることを誰にも言ってないからです。そういえば、癌告知されてから、TVを一切見ていません。子供の誕生と自分の癌、子供にも骨腫があってその経過観察中。青天の霹靂のさなか、世の中が普通にまわっているなんて、認めたくなかったからです。

生活臭のしない科学雑誌を読むようになっていました。逃避したかったのです。現実に逃避出来ています。家ですべての事をさせている夫に悪びれもせずに。

乳がん手術から5日目、ドレーンからの解放

ドレーン(脇腹から出ている管)が抜けました。抜いた後の穴は消毒だけして後は自然に塞がるからってそのままでいいとの事(*_*)入浴、抜糸については記録が失念しており、いつから許可されたのか全身シャワーでやりすごしたのか、覚えていません(ゴメンナサイ)抜糸はしたかどうかも思い出せません。テープが貼ってあって剥がしたら終わり?くらいに簡単だったような気がします。思い出せません^^;記憶に残らないくらい簡単だったという事です;;;

私の傷は、自然な縦ラインに一本だけです。1本の傷から病巣を含めた組織、リンパ節(センチネルではなく廓清)を取っていただくことが出来ました。前から見ても、横から見ても傷が全く分かりません。

乳がん手術から6日目、病理検査の結果治療メニューが決定

癌の病理検査結果が出ました。

リンパ節転移14個中1個あり、ステージⅡbと診断されました。詳しい心境のことは別記事:病理検査の結果。がん告知よりショックだった。に記載してあります。

退院後の治療メニューが決まりました。

  1. 放射線治療約lか月
  2. その後点滴の抗がん剤6回(6か月)
  3. その後経口抗がん剤1年半

乳がん手術から7日目~14日目(退院まで)

この時、私が癌告知を受けてからまだひと月しか経ってないのです。ひと月前、私は子供の誕生の瞬間人生最大の喜びのその24時間も経たずに思いもよらない事態にぶっ飛び、着地する気配もありません。

痛み、トイレなどの生活、物理的に困ることはほとんどありませんでした。しかし、精神はどん底におりました。これからの治療と子供の世話、お金、なにより、思いもよらない「癌」、子供の骨腫(別記事)も癌なのかな。

退院したら弱った体力に通院で抗がん剤、嘔吐しながら0歳児の育児、できないでしょ。普通。そう思っていました。

私はこの入院の後半期は面会謝絶にしてもらいました。人間に会いたくなかった、人間を視界に入れたくなかった。助けてくれた人でも、家族もです。現実逃避です。自分が人間ではなく、元素の塊であることにしていたかったのです。

このように一旦落ち込んでしまうと、周りを見るきっかけを失います。それは、当時、病室に携帯電話、パソコンなどが持ち込みが禁止で、ふとしたきっかけも持てない環境も災いしていたと思います。

ふと着信履歴を見ることや、ふと検索してみる事などが出来ませんでした。誰かに話を聞きたい、話をしたい時は、わざわざナースステーションの前の公衆電話に出向きます。もちろん周りに話声が丸聞こえの状態です。電話「BOX」になっている公衆電話は入院患者が順番待ちをしていた事もありました。

自ら作った周りとの「壁」の強度を頑丈にするには、十分すぎる環境でした。

退院の日が地獄の始まりのような気がして、永遠に入院していたい。一方、うちではギブアップ寸前、一秒でもはやく子供の世話を!と私を待ち構えている傍ら、退院の日が伸びますようにと思ってしまうのでした。

私は本当にけしからん母親です。

癌になって、短期間に心の様子がころころと変わります。これからの治療がたくさん控えている中、心の変化に家族は私に手を焼くかもしれません。退院するのが私も家族も怖かったのです。

以上、手術の翌日~退院までの約2週間はこんな状況でした。

                      

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