癌告知よりもショックだった病理検査の詳しい結果
2020/01/13
私は乳がん手術後6日目の入院中、詳しい病理検査の結果を聞きました。
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病理検査結果
術前の検査でまではステージⅡは確定していましたが、実際に手術によって摘出された腫瘍の病理検査では、リンパ節転移が14個中1個認められ、詳しくはステージⅡbとなりました。
細胞の顔つきは悪く、進行が速いタイプ、たちの悪いものだということです。ホルモン受容体は陰性で、ホルモン療法という副作用が少ない治療法が私には使えないという事でした。
2002年当時、ハーセプチンは一般的ではなく、健康保険適用でもなかったので、HER-2については調べていません。
生存率のデータの話
ステージⅡの5年生存率と10年生存率を書き出したいのですが、統計元、年代によって、ちょとずつ数字が違うので、引用していいのかすらも、データを混ぜて書いちゃったらまずいんじゃないのかと悩みまして、「生存率」としては引用しないことにしました。
ざっくり言えば、ステージⅡというくくりであれば7割以上、治療開始後10年間は生存しているようです。私の場合、若年性という事で、(あくまでデータ上の確率で言えばと前置きされてから)ステージⅡのくくりのデータよりは予後が悪いと言われました。
相対生存率を見るべき
5年生存率と、10年生存率という言葉はよく聞きますが、「5年相対生存率」も見たほうがいいと思います。それは、事故や癌以外の病気で亡くなることを考慮された、「純粋に治療が有効であるのか」を示すデータだからです。
5年相対生存率とはあるがんと診断された場合に、治療でどのくらい生命を救えるかを示す指標。あるがんと診断された人のうち5年後に生存している人の割合が、日本人全体*で5年後に生存している人の割合に比べてどのくらい低いかで表します。100%に近いほど治療で生命を救えるがん、0%に近いほど治療で生命を救い難いがんであることを意味します。* 正確には、性別、生まれた年、および年齢の分布を同じくする日本人集団
出典「国立研究開発法人国立がん研究センター」日本のがん生存率の最新全国推計公表全部位5年相対生存率62.1%(2006-2008年診断症例)より“2020.1.13リンク切れの為削除しましたが、最新の様々なデータは下のリンクバナーから見ることが出来ます。
上記のページの中の「部位別5年相対生存率」よりは、その下の「臨床進行度別5年相対生存率」の方が進行度別に分けられているので詳しい検査結果が出ている人の参考になると思います。グラフの線が細いので、私はブラウザの表示をズームしてまで見ました!
国立がん研究センターでは、様々な統計が公開されています。
術後の治療メニューが決定
この病理検査の結果により、放射線25回→抗がん剤CMF療法6クール(半年)→その後の経口抗がん剤を1年半。という治療メニューが決まりました。
すべて通院でこなすつもりでした。副作用は個人差が大きいです。もし大きく出ても、吐き気止めなどの薬で、上手く対処が出来る人も多いです。私の場合は残念ながら入院していましたが、睡眠不足などの治療に入る前の環境に左右されたと思っています。
癌告知よりショックだった理由
癌告知の時は、私の実母が一緒でした。病理検査の結果は一人で聞きました。ただの結果を聞くだけではなく、細かな治療計画の相談を医師とします。
みんな忙しいのだから、一人でちゃんと決めて、一人でちゃんとメモをする為に準備をして臨んだつもりですが、メモにはなにも書くことは出来ませんでした。画像に映るような遠隔転移はなかったと言われても、よかった。だなんて思えません。もう、その時は医師の言葉にいちいち目の前が揺らいでいました。
癌告知のときは、「癌は治る病気」という言葉が流行っていた時代でした。症状が全くなく、偶然見つかったものだから、進行してないだろう。超初期である可能性もある。手術して終わりの可能性もある。
「癌」そのものの言葉に一旦突き落とされたものの、すこし這い上がったところへ子供の骨腫がみつかり、経過観察といわれまた一旦這い上がり、そして今回もう這い上がる精神力の予備タンクは、短く忙し過ぎるこれまでで、もうとっくに尽きていました。
病理検査の結果、あらゆる楽観が容赦なく崩され、リンパ節転移、グレード、ホルモン受容体無しなど、決定した詳細がベールにかけられることなく突き付けられました。治療計画が具体化するとそれはそれで0歳児の世話をしながらの治療を具体的に想像した時点ですでに疲れました。
人生の一番忙しいとき乳飲み子抱えて抗がん剤そんなに飲み続けるんか・・・ホルモン療法が使えないとなると、再発した度に抗がん剤を手を替え品を替え抗癌剤ばっかりやっていくんだろうか。再発する前から再発した時の心配もします。本当に辛くて、もう何もかもが嫌になりました。
嫌になっていましたが、そんなこんなで15年後・・・その時を振り返って今この記事を書けています。