メンタル

悲しい親子

私は自身の乳癌治療期に、当時0歳の子供にも腫瘍がある事、子供の腫瘍が良性か悪性か、治療はどうなるのか、子供の人生がどうなるのか。諸々の心配を受け入れず、諸々の手配をする事を逃避しました。自分の抗がん剤だけに逃避し、知ったこっちゃない気持ちで居ごした時間がありました。

結果的に子供は癌ではなく今まで平穏無事に育ってくれました。そして、私も健在しています。当時を思うと、ありがとう。ごめんなさい。色んな気持ちに苦しみます。

私は自分の抗がん剤で入院中、思考を停止させていました。このような病気になると、幼い我が子と少しでも多くの時間を持ち、自分の病気より子供の事を一番に考えるのが親と言うものでしょうか。母とはそうあるもの、そうするべきなのでしょう。

幸いにも?その時の我が子は新生児だったので、母親に知ったこっちゃない気持ちでいられたことを知らずに居てくれたのですが、当時、そう思ってしまった事について、「私は親として失格ですか?」と評価を他人に問いたくないのは当時も今も変わりありません。

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隣のベットの方も悲しい親子だった事を思い出しました。

当時入院していた病室は4人部屋で、みな癌治療で入院している方々です。交流もなくカーテンを閉めっぱなしにして生活しているので、お互いどんな顔をしているのかも分からないくらいでした。私にとっては気が楽でした。

カーテンが閉まっている病室

見舞いには来る息子

お隣の年配の女性のところへは、40歳代くらいの息子さんが週に1~2回はお見舞いに来ていました。私はカーテンの下のほんの少し見える隙間から、紳士物の靴とスラックスの裾が見えて、息子さんが来ているな。と思っていました。

入院中の変わりない景色の中で、ほんの少しのカーテンの下から見える、病室を出入りする足元の風景だけが唯一の替わり映えでした。息子さんの靴は毎日磨き上げているように綺麗だったので印象に残っていました。

偶然かと思っていたのですが、息子さんが来ている時は、お隣の患者さんは眠っているのです。息子さんは毎度パイプ椅子に座って眠っている母を見守り、しばらくして帰っているようでした。不思議と息子さんが帰った途端目を覚まして起き上がったり引き出しを開けたりする音が聞こえます。

これは偶然ではなく、息子さんが来ている時は眠っているふりをしたのだと分かりました。

看護師さんから、一度は医師から家族に説明をすることがあるので息子さんのいい時間を知らせてください。と何回も言われていたようですが、頻繁に来ている息子さんに医師の説明を聞かせる気はないようです。

息子の正体みたり

ある日、私が院内の売店へ出向いた時、その息子さんを見ました。あの靴とスラックス。間違いない。今日も来ていたんだな。

息子さんは外国人の女性の方をロビーで待たせていたようで、ポケットから2千円を出して女性に手渡しながら言いました。「だんだん置いてる金額が少なくなってきてて…」と。

まさか、お母さんの病床の財布からお金を抜いているの?ととっさに思ってしまった私はひねくれているのでしょうか。相手が外国の方なので、分かりやすいようハッキリしゃべり、手振り身振りも交えているので私から少し距離があっても…会話がわかってしまいます。

それでも息子に金を渡したい

ある日、お隣の方と同年輩くらいの女性の方がお見舞いに来られたようです。息子さんの時とは違い、見舞客にカーテンを少し開けられただけで気づき、起き上がって話を始めました。

お金だけじゃなく、健康保険証まで無くなってしまったからどうしようと相談していました。保険証が無くなった(人手に渡った)事により、起こりうる事の心配、たちまち保険証がないから入院費支払いやらの手続きに困る事、など。そして、寝たふりをするのにも疲れたと。

目を覚ませばそれ以上の金の無心を迫られるかもしれないし、自分が起きていれば息子がお金をとれなくて困るとも思っていたようです。悲しい親子です。

私はその日は抗がん剤の副作用がマックスの日で、めまいと吐き気で起き上がる事すら難しく、気を紛らわす事も何も無く、お隣の会話が耳に焼き付いてしましました。

悲しいとは思いますが、親として人間としての評価などをこの親子に下すおこがましい気持ちにはなりません。


以上、15年も前の昔の思い出した話でした。

                      

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