メンタル

「確率」と「運」にすがる人生

2021/11/14

病気になった時、どれほど確率の話を聞いては運にすがっただろうか。私だけの事実は、確率に当てはめても意味はない事を知っているのに。

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医師の言葉にすがり、検索エンジンにもすがる

私は癌になる前の若い時から、病気以外の事でも確率に翻弄されてきました。その傾向が強くなったのはやはり、「乳がんの疑い」をもって「穿刺吸引細胞診」の検査した日からです。(別記事:子の誕生と同時に乳がん発見と癌告知に書いています。)

私の細胞診の結果が、癌である可能性は何パーセントか。それを医師に尋ねました。その時は出産直後だった為、本当の「疑い」は私に伝えられず、「心配ないでしょう。」とだけ言われました。

そして、癌告知された時、医師に「生存率」「再発率」を尋ねました。その時は医師の説明だけでは自分の中でもの足らず、インターネットで検索する日々でした。治す為の事を知りたいのではありません。「生存率」「再発率」のサイトによって微妙に数字が違う事、言い回しが違う言葉を探しては、傷つく事を繰り返し、「運」にすがっていました。

最近、すい臓にIPMNという癌に移行しやすい嚢胞を3つ持っている事が分かった時も(別記事:膵臓専門医による私の膵嚢胞の所見に書いています)、性懲りもなく同じ行動をしてしまいました。

やっかみな時期

同じ病気を持つ人や家族の書いた書籍やインターネットの情報は、前もって抗がん剤などの副作用を調べて心構えをするために大変役に立ちましたし、とても心強かった。癌を公表してリアルに交流出来る場が無かった分、なくてはならなかった世界です。

一方、病理検査直後の時期には、同じ病気の人の闘病記を見て、自分と比べ、私の方が細胞の顔つきが悪い事だけでもやっかむ気持ちすらありました。同じ病気で同じ苦しみを持っている人なのに、私より治療にかけるお金がありそうな文面を見ただけでもやっかんだことすらありました。

それならば、見なければいいのに。

そう分かってはいるのですが、心の様子がころころと変わる時こそ検索して調べるものだと思います。そうして昔の私のように、誰かがこのサイトを見て、傷つく事もあるかもしれません。私はその事は常に念頭に置いて言葉を選んでいるつもりなのですが、それでも全ての人に良い情報だけを見てもらえる事は難しいと感じています。

ですが、もし若年性乳がんになった方が、何年も元気でいる人はどのくらい居るのかな・・・なんて思っている時に私のサイトを見つけて、あ、ここにも一人いた。
見つけたと指さす
という通過点にでもなってくれたらいいな。という思いで書いています。

私の「まさか」の坂の人生の記録

日本人の何人に一人が癌になるという統計を耳にしますが、そう言われると特別な事ではない気がします。ですが、自分や家族が癌になると、特別な確率に襲われた気は誰もがすると思います。

結婚式のスピーチでよく聞く、人生には3つの坂があり~ 1.上り坂 2.下り坂 3.まさか の、私は結婚まもなく3.のまさかが来ました。それ以外の事で確率的に「まさか」っていうレベルの出来事をいい事も悪い事も含めて書きたいと思います。

すみません、ここかから先はひとりよがりな自伝になりますので、お急ぎの方はお読み飛ばしくださいm(__)m

高校入試

いつも真面目に勉強しており、自分の学力ではかなりの安全レベルの高校を受験して不合格となる。定員割れに近い低倍率だったにも関わらず。原因が未だにわからない。

大学入試

ほぼ100%進学出来るエスカレーター式の短大入試で書類選考落ちする。原因は生理痛。(詳しくはこちらの記事:子宮内膜症・チョコレート嚢腫 診断から入院に至るまでに書いています。)

国家試験

高校も大学(短大)も受験を連続失敗した事で勉強を一切やめた。定職にもつかず、19歳の時、誘われて不真面目に取り組んだとある国家試験(合格率17%)に一発合格する。まぐれに合格するものではないが、私はまぐれに合格した。履歴書に書くと格好はいい。だが今となってはその本質は皆無に近い。

就職・転職

国家試験を直接生かすことはないが、「これが取得できるレベルの人」と評価は高く、大卒者と肩を並べて団体職員採用試験を受ける事が出来、採用された。バブルがはじけた中で手堅い職業に就いた。

その後、普通じゃありえない理由で自己都合退職をせざるおえなかった。職場の人は最後まで引き止めてくれた。今でも夢に見る。詳しくは書けませんが、乳癌になった事とどっちがショックだったかというと、どっちもどっちかな。

それから転職を繰り返し、一番長い職業はスーパーの店員です。これを書いている今現在はまた転職をして事務員です。

子供がコウノトリに乗って私の病気を教えに来てくれた

詳しくは別記事:子の誕生と同時に乳がん発見と癌告知に書いています。

このピッタリのタイミングで来てくれたから、今存在してブログを書けています。早くては子供がいなかったかもしれない、遅かったら私が今いなかったかもしれない、私の子は絶妙な確率を当ててくれました。

まとめ

  • 私は人をやっかんだことがあります。でも今「やっかんでいるんだ」と自分の気持ちを認めて許していました。
  • 確率に翻弄されるのはやめましょうと言いたいところですが、それは誰しも気になると思います。確率を思う存分調べて気にした後は、一旦横においとければいいですね。
  • 誰もが、それぞれの「特別な確率」に遭遇して今生きておられるんだと思います。
  • 今この文章をお読みいただいている方は、記事後半の私のひとりよがりな自伝に付き合ってくださったのだと思いますが、まことにありがとうございます。
                      

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