肺がんと診断されるまで
最初の健康診断の問診の時点で、肺がんだと私は察しがついていました。
この時はコロナの最盛期、癌らしきものを発見してから手術をする病院が決まるまでの所要期間は3か月。そこから手術日を待つことさらに2か月かかりました。
健康診断で再検査
健康診断の問診の先生に言われました。
「胸部レントゲン」で1センチ程の「何か」があるので医療機関での要再検査の通知が行くかもね。
でも、「良性」のことも多いからね。と次いで言いました。まぁ、ひっかかった人みんなにそう言うんだと思います。
驚いたことは、「1年前の健康診断でもこれありますが、(他の医師が)見落としてますね。」と問診の医師が自爆発言をしたことです。私にとってその見落としは大きな問題ではなく、1年前と大きさが変わらないということは、悪性でも進行スピードが遅いものだろうとこの時思いました。
近所のクリニックで再検査
予告通り、「要再検査」の紹介状入りの健診結果が届きました。
二次検査は、近所のクリニックにしました。数年前に、胸部CTをとっていたので、比較データがあるからです。ちなみに、このクリニックで「肺の小結節」と診断されて定期的に経過観察をするよう言われていたのに放置していたものが、今回癌になった事も察していました。
CTとった後、クリニックの医師は、多くを語らず、もっと大きな病院で再検査ね。と言いました。
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大病院呼吸器内科で再検査
クリニックから送ったCTデータもあるけれど、また1からCTをとりなおしました。
結果は、あっさり、
「これ、肺がんですね。細胞をとらなくてもわかるような典型的なヤツね」
「でもラッキーなのは、右中葉部、いわゆる一番切除容積が少くてすむとこにありますよ。また別の日に呼吸器外科の先生に詳しく聞いてください。」
その日はそれで終わり。忙しく人手も足りなさそうで、周囲に看護師さんの姿もみえませんでした。
呼吸器外科で説明受ける
肺がんの手術は乳がんと違って、術後も痛く苦しく、「多かれ少なかれ一生涯苦しむ。」と、そんな感じの説明を受けました。そんなハッキリは言わなかったけど、私はそう捉えました。
のちに、セカンドオピニオンに行った別の病院の医師に、こう言われたんだって言うと、大変驚かれていましたし、
なにより手術をした私本人が答えを知っています。術後の苦痛に一生涯苦しむっていうのは、、、まずありえないよね。別の記事で経過を詳しく書くけどね。
一生苦しむ発言の外科医に、心配事を話しました。
「私は眠剤を日常的に飲んでいるので、術後の鎮痛剤が効きにくいのでは?」
すると、「セカンドオピニオン」に行ってみたら?と医師のほうから言いました。コロナで手術の予約もなかなかとれなさそうだったので、促されたとおり、他院へ行きました。
この時、私の地域の大病院はどこも、新規の外来と入院の30%を受け入れない方針を発表していました。とくに、呼吸器内科や呼吸器外科はコロナに人手を持っていかれてるように思いました。
セカンドオピニオン
前の病院のデータを持ち込むも、CTはまた取り直し。
診断結果は同じで「肺がん」であろう。と言われましたが、私は診断に疑問があってセカンドオピニオンを受けに来たわけではない。カンドオピニオンに行けって医者のほうから言われて来たのです。
前の病院とは違い、検査データがそろう前から、そして私がこの病院での手術の決断をする前から、手術日も仮押さえしてくれていました。
肺がんと診断するための検査は造影CTくらいでおまけで血液検査くらいでした。(あくまで私のケースでは)
手術日が決まってからの、術前検査は別記事で書きます。
癌も小さく初期のもので、病理の検査によるけど、手術して治療は終わりで抗がん剤も必要ない可能性が高い。そして、デスクワークなら術後2週間くらいから職場復帰も可。
そんな話を聞いて、この病院で手術することに決めました。
ここで初めて職場へ報告しました。職場の対応はまた別記事にしたいと思います。
コロナ禍のなかで肺がん診断
肺がんということ自体よりも、問題は、それが私の住むエリアの、コロナの最悪最盛期に当たってしまったことがなによりのショックなことでした。
最終的に落ち着いた病院は別の市町村であったため、疲労も交通費も大変な金額になり金銭的にも出費がかさみます。
肺がんと診断されていも入院日も手術日が決まらないため、待っているだけの期間は療養期間として認められず、仕事も休めないのに検査も終わらない。
コロナになっていないけれど、コロナで心身が病み、肺がんで入院する前に「適応障害」という病名もつき、もう仕事をやめてしまおう。と思いながら、3か月休職することになるのでした。