病気と仕事

経口抗がん剤治療中、仕事復帰した時の話

2020/01/31

経口抗がん剤の服用の開始を続けて4か月目、乳がん術後1年経った2003年、仕事復帰しました。そのやみくもな様子を綴ります。

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仕事、生活、治療の両立

(経口抗がん剤治療の様子は、別記事:経口抗がん剤の服用を1年半に書いてありますので是非ご覧ください。)

治療代にお金がかかることと、予定外に子供を預けたりしたため、生活費が困窮してきました。ここから、1年と2か月、家事、育児、仕事、癌治療の4つを平行して行くことになります。もちろん、周りの無償の支えあっての事です。

私の場合、正社員ではないので、病気になる前に働いていた職場にパートとして再雇用されました。スーパーの店員です。手に職がなく、車の運転が出来ない私が、多大な交通費をかけずに通勤できる範囲のところはここくらいしかなかったです。当時は雇ってくれるところがあるだけでありがたいと思いました。

時給雇ですので、子供を保育園に預けた保育料を差し引くと、わずかな収入にしかなりません。ですが、何もしない訳にはいかない。僅かでも収入が必要でした。

私はこの職場で病気を公表しませんでした。今まさに癌の治療中だと言ったら、雇ってもらうことは出来ないと思ったからです。子供が1歳になったのを機会に働きたいという理由にしておいたので、周りへの違和感はないようでした。

立ち仕事でわりと体力も使いますので、今までの抗がん剤治療による慢性的な白血球減少、貧血でめまいや強い疲労、それは大変な思いをしました。

レジの途中で急に貧血の予感が来ても、しゃがみ込むなどするわけにもいかず、トイレも自由に行けないし、レジの読み上げスキャンなどで常に発声していなければなりません。米やビールのケース買いをするお客様も多く、力仕事も必要です。

そして職場自体が常に寒いのです。点滴の抗がん剤は真夏にしましたが、真夏の冷房が効いた部屋ではカイロをしていたほど寒がりになっていました。これが総菜、鮮魚などの加工担当であったらなおさら極寒で耐えることは出来なかったと思います。

スーパーの仕事を、治療をする前と同じ「質」の仕事をすることが出来ず、申し訳ない気持ちでいっぱいででした。

最も大変なことは、職場の人たちに、具合が悪い事を隠すことでした。そして、自分の都合で雇われる為に事実を隠している罪の意識。これらの事で復帰したての時は労働の疲れがさわやかなものではありませんでした。

一日6時間半労働して子供を迎えに行く。帰ってからの家事、抗がん剤を服用していなければ、こんなに疲れることはないのでしょうか。そういえば私は結婚して以来、癌でなくとも何かで入院、手術、治療ばかりしていました。その長年の溜まった治療疲れというものもあるような気がします。

店員というのはよく風邪をもらってしまうのです

当時、私の職場ではレジ接客時のマスク着用が許可されていませんでした。今考えれば不思議な事です。「感染を広げる恐れがある人は接客をさせていません。」というスタンスだったのだと思います。それでいて不特定多数の接客をしなくてはなりません。(2009年、新型インフルエンザが流行した時からマスク着用が許可されました。)

私は治療によって白血球、免疫が低下していたので、いろんな病気に感染しやすい状態だったと思います。職場復帰とともにいつも風邪をひいている状態でした。

抗がん剤と風邪薬を飲み続けてグダグダで治療を終えても、生存率をあげる事になるのだろうか?むしろ逆をしてるんじゃないか?でも、その時はそのパート報酬にすがるしかなかったのです。

スーパーの店員という仕事のメリットもありました。シフト制で、どうしても自分や子供の体調が悪い時、替わってくれる人が何処かにはいたという事です。私の替わりはいくらでもいるという事です。ですが、極力替わってもらうことはしませんでした。もしもの時の心強さはありました。

明るく楽観的な同僚たちに支えられ

仕事を治療終了まで続けられたのは同僚たちのおかげです。なにかと人を笑わせることが上手な芸人タイプの人や、天然でそこに居るだけで笑えてくる(スゴイ失礼な表現でゴメンナサイ;;)逸材に恵まれていました。仕事に行く楽しみでもありましたし、「笑い」による免疫活性をさせてもらいました。
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考えようによっては、時給をもらいながら笑い療法を受けさせてもらったお得な気分でもありました。あの時の面々は今どうしているのでしょうか。そういや最近あまり笑ってないな。このブログの記事、暗いですかね?つい、しんどかったしんどかった、って書いてしまいがちになりますが;;愚痴ブログにならないようにしないといけませんね(笑)

子供は一時保育に預けていました。

1歳児の一時保育料は一日700円だったと思います。少しでも保育料を浮かせるために、私は主人の休みの土、日を出勤日にしてもらい、主人には土、日に家で子供と一緒にいてもらうことにしました。平日に2日休みをとり、保育園は週に3日だけ預ける事にしました。

一時保育だったので、予約がいっぱいだったら断られる可能性があります。ですが3年間お世話になりましたが、断られる日は一日もありませんでした。おそらく、その当時は地域的にも、一時保育の希望人数が多くなかったからだと思います。

このように、周りの協力と偶然も重なり、「明日はもう動けない」と毎日思いながら、気が付けば少しずつ子供も手がかからなくなってきました。私も少しずつ体力もついてきて、このまま2014年までの11年間無事に働き続けることとなり、現在は希望通りの事務員に転職しています。


出来る事なら、やみくもなあの頃の自分に「なんとかなったよ」って伝えたいです。

                      

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