膵嚢胞(IPMN)の記録

定期検査MRCPの結果<IPMN発見から2年半後、6回目>

2019/12/07

IPMN発見から2年半後、6回目の定期検査の結果です。
前回と変わりなし、また半年後の検査においでください。との事。
今回も、乗り切りました。数年間変化が無いとリスクもそれなりに減ってくると聞きましたが、私はまだその域ではないのだと思います。

なんせ、私は3つもIPMNをもっているのです。データ上では、1つだけのIPMNも、複数個のIPMNも平均して、年間約1%の人がすい臓がんと診断されるということです。

個数別の確率を出しているデータを見たことないんですよね。まあ、一つが主膵管型で、もう一つが混合型で~などなどの組み合わせが無数にあるから単純に「個数」だけの情報はあったとしても参考にならないかもしれません。

すごーく単純な考えなんだけど、三つ子のどの子もおとなしくしていてくれるのって、一人っ子のそれに比べて難しいと私は思っています。

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検査が怖くなくなってきた

今回、検査に対する恐怖がありませんでした。乳がんの再発を恐れてさまざまな検査をする事20年近く、その過程で見つかったさらに経過観察が必要な腫瘍ども。その種類の多さにもう麻痺して、訳が分からなくなってきたからです。いいボケ具合になってまいりました。いましばらくあえて整理してきちんと理解しようとはしません。このままの精神のほうが健康的だからです。

しかしこれまでの人生、病気のスパイラルは尽きることはありませでした。

経過観察のスパイラル

おそらく私の今までの検査で見つかった、悪性を疑わない腫瘍というのは、だれもが持っているものをたまたま見つけては落胆しているように思えます。

大きな病気を一度してしまうと、検査を多くする人生になってします。その経過のなかで、知らなくても差し支えない影やら出来物やらを知ってしまいます。大半の人が知らずに棺桶までもっていく類のものが多いのでしょう。

それをいちいち見つけては、それが癌の再発なのか、何かの病変なのか突き止めるべく、さらに検査で心労を重ね、医療費の経済的負担の苦労をして、それを捻出するため無理に働いて体調を悪くしてまた病院へ。癌が再発していなくても、どちらにせよ病的な一生になってしまったとうのが私のこれまでの経過です。

今のところしなければならない検査は行ってはいるのですが、いつも、次の検査に必ず行くとは決めていません。逃亡しようかなと思っていたりします。

生きる資格がないなんてあこがれてた生き方

(上の小タイトルは、橘いずみさんの「失格」という歌の中にでてくるフレーズです。この曲の歌詞が大好きです。)

私という人間は、なぜ癌を見つけてくれたことに完全感謝をできないのでしょうか。知らなきゃよかった、例えそれに命を奪われたとしても。そんな考えがよぎるのはひねくれ者の、けしからんヤツなのでしょうか。再発率の高かった乳癌をやっつけてくれて、生かされたことを感謝できないなんて、私は生きる資格のないゴミ同然なのでしょうか。

ゴミの上で寝る女

なのなのなさんによるイラストACからのイラスト

 

もちろん、そんな本音は周りの誰にも言いません。本音を漏らすのはこのブログ内だけですから。しかし、その垂れ流した本音が、生きたかった、生きてほしかった。そう願ってやり場のない悲しみの中にいる人や家族の方の目に入ると、大変申し訳ない事です。

でも、私は、たくさんの人の癌が、病気が救われることを願ってやみません。自分の治療経過を公開して少しでも参考になればとこのHPを開設しているのですから。

命は尊い。しかしどうしても自分の命は尊く思えないのです。思えないなら無理に思わなくてもいい。なんだかんだとそんなふうに、1ミリも尊くも輝きもせず、腐ったまま死ぬまで生きても、、、いいんじゃないかなと思っています。


↓2019/12/4追記 アンケートにお答えください↓

                      

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