雑記

日雇い派遣の思い出

以前、ブラック企業の思い出http://nagai-michi.net/zakki-black/という記事を書きました。

今日は日雇い派遣の思い出、日雇いの体験の中からいろんな意味で怖かった3種(笑)を綴りたいと思います。

この記事の時代背景は随分昔の話です。平成24年10月1日から施行された労働者派遣法改正法で、日雇派遣が原則禁止となりました。ですが例外の業務、例外の人(例60歳以上の人、収入がどうたらなどなど)結構幅広く当てはまりそうです。今の私も当てはまる条件がありそうです。使用者側は、日雇いなんかの扱いにせず、ちゃんと雇用してあげなよって意味で、労働者を守るために改正されたんだと思いますが、日雇いすら出来なくなって、困る人もいるんじゃないかな。

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15歳で人生初のアルバイトは札束にまみれる仕事(笑)

私は高校一年生になったばかりのとある週末、派遣会社に登録していた友人から、明日のアルバイトの人手が急に足りなくなったからと応援を頼まれました。

内容は呉服の反物の販売イベント。街中ではなく、山奥の会場で行われており、マイクロバスで連れていかれました。そんなイベントのチラシなど見たことなかったし?すごく怪しいです。

広い和室に反物が無造作に広げられており、客層は、年配の女性がタクシーで乗り付けてくるか、業者がワゴン車で乗り付けてくるかでした。

時代はバブル真っ盛り、反物をどんどんとお買い上げされる人から現金を受け取ります。クレジットカード決済などができない、現金限定販売でした。

私はお客様から受け取った札束数えて、家庭用35リットルサイズほどのゴミ袋に無造作にどんどん詰め込む作業を指示されました。ゴミ袋が万札でいっぱいになると、駐車場で2人ほどが護衛している車へ詰め込みます。
万札が飛び交う

万札以外の千円札など、ましてや硬貨などはほとんどありませんでした。もし誰かが何万か抜いていてもわからない状況だったんじゃないかと思うと、今更ですが怖いです( ;∀;)

2日間フルタイムでお札にまみれた私。15歳で感覚が一時期おかしくなってしまいました。

しかしこの仕事の時給は700円、バブル絶頂期でも私の住む地域の最低時給は423円でした。高校生にして時給700円は相当高給なアルバイトでした。山奥で近辺にお店がないので、私たちのお昼ご飯は用意されていました。料亭が仕出し弁当を届けに来るのです。

怪しいけれど、待遇のよさに、またこの仕事があったら教えてねって紹介してくれた友達に言ったのですが、それ以降この業者の存在を確認できませんでした。

お婆ちゃんのいじめが強烈な皿洗い

私は高校卒業後、一時期資格習得の勉強をしながらアルバイトを掛け持ちしていました。そのうち一つの派遣会社から行ったイベント会場での出来事です。

私は何の作業をするかもわからず、派遣先に行き、当日にその場で皿洗いを命じられました。食洗器はなく全手洗いです。
洗い場の風景
そこでの他の皿洗いスタッフは70歳はとうに過ぎているようなお婆ちゃんばかりです。中には80もとうに過ぎ、腰が曲がって普通のシンクの高さでは作業がやりにくそうだけど、なんとかやってるような人もみられます。いずれもここの皿洗いの常連スタッフのようでした。

みち子「よろしくお願いします。これ、洗ってここへ置いたらいいでしょうか?」
婆A「・・・」(ガン無視)

みち子「(一皿洗って)あの・・・ここへ置いていいでしょうか?(;´∀`)」
婆B「そこへ置かないで!そこへ立たないで!そこにも立たないで!そこにも!」

みち子「あ・・・じゃあどこでどうすれば・・・」
婆C・D「クスクス(私を嘲笑している)」

仕方ないので隅の方で片付けしているようなふりをして本当は何もしていない時間だけが流れました。
しばらくすると婆CとDが仲間割れを起こして婆Dが泣き出しました(;^_^A

この洗い場の中で5人中作業をしているのが2人だけの状態になり、洗い物が溜まりまくり、ついに私たち派遣をとりまとめる社員さんが様子を見に来ました。

婆A「あの子(私の事)が何にもしないの!」

と言いつけます。その場の流れで婆Dが泣いているのもまるで私が泣かせたかのような空気です。

みち子「え!(@_@)私、何にもしてないです!あ、いろんな意味で(笑)」

とりあえずその場をまとめるために、社員さんは私を同イベント会場の別の業務「什器搬入(男性の力仕事)」へ異動させました。しかも皿洗いの安い時給のままです。すると、周りのガタイのいい男性は、意味も分からず連れてこられた女子に力仕事させたら可哀そうと私を気遣い(足手まといだと思って)、楽なことばかりさせてもらいました。

この日は、自分は何処へ行ってもお荷物でどうしようもない人間だと思って落ち込みました。

後で皿洗いのお婆さまのことを同じ派遣会社の人に聞くと、

お婆さま達は別の派遣会社からきており、みな深~い各々の事情があって、ほぼ毎日この皿洗いの日雇いにすがっているらしい。他の新入りに仕事を取られたくないと思い込み、全力で排除し、お婆さま同士でも熾烈な争いをしているとのこと。

派遣会社側も、約束しておいてすっぽかす若者よりも、生きている限りは這ってでも出てくるお婆さまを雇っている状態らしいです。

当時の私の祖母よりも年齢を重ねて腰も曲がった人が、孫以下の年齢のものを必死に排除して明日の生活確保しないといけないのは、とても気の毒でなりませんでした。

私はこの日、洗い場で水に触れることなく、お婆様の喧嘩鑑賞し、後は男性の職場で紙きれをまとめるくらいの軽労働をして日給をいただいてしまいました。

叱られることが仕事の宴会スタッフ

20数年前、私はポケベルを持っていました(笑)懐かしいねー

出先で派遣会社からベルがなり、連絡を入れてみると、「今から○○ホテル3階行って!」と突然言われます。え?私今出先なんですけど・・・

「いいから行って!」どんな仕事だとか、何時までなのかとか、何か持参品や服装は必要なのかとか、聞いても「とにかく行って!」というばかり。とりあえず出先からすぐに向かってみました。

到着してホテルの社員さんらしき人に話しかけてみると、宴会会場スタッフの仕事のようでした。
宴会の様子
「今何時だと思ってるんだ!」といきなり一喝。何人ものすっぽかしがあってその代替で私が呼ばれたのを把握しました。おまけに、「白のブラウス」着用の条件も初めて知りました。大量にすっぽかされてしまい、やっと遅刻してきた人が白のブラウスどころか、オレンジ色のフード付きトレーナーを着ているんです(笑)

出勤時間が何時だったことも知らない私は、何もわからないでここに来たことを話しましたが、派遣先のホテルの人は、

「こっちは何週間も前からお前のとこ(私が所属している派遣会社)に頼んでんだよ!」と、

私を登録の派遣労働者としてではなく、派遣会社組織の人間として怒りをぶつけているようでしたのでとりあえず真摯にお詫びしました。トレーナ―着用の私はあまり客前に出せないようで、一旦は、

「もういい!帰れ!ヽ(`Д´)ノプンプン」と言われました。

ですが、その人の上司が登場、後片付けには使えるだろうってことで、裏方の仕事をなるべく一生懸命することになりました。本来4時間半の勤務のところ私は遅刻して3時間、その時間中ずっとずっと怒られていました。

以前ウチから行った派遣の人の仕事の様、クレーム、派遣会社そのものの対応、ついでに関係ない己の愚痴も聞かされ、ずっと怒られお詫びしている時間でした。もうおまえのとこの派遣とは契約しないと社員に伝えとけと言われました。

このことを派遣会社へ報告しようにも、多忙でおかしくなっている派遣会社の社員さんは、なぜか私がすっぽかした側の人間だと思い込んでおり、逆に派遣会社からも怒られました(*_*;弁解しようとしても、ブラック労働なその少人数のオフィスは、私の話を聞く余裕もないくらい電話が鳴りっぱなしでした。結局、疑いがは晴れるどころか、私が誰かすらわかろうとしてくれない状況のままでした。

ブラック労働に疲れ果てた派遣会社の社員さんは、登録解除も忙しさ故にしてくれず、病んでいる社員さんを気の毒に思いながらポケベルを解約して次の派遣依頼が来ないようにしたのでした。

確かに当時、私の所属する派遣会社の日雇いで働く学生たちは友達同士で登録し、遊び気分で同じ仕事に応募している事が多く、別の割のいい日雇い案件を見つけて乗り換えたり、遊ぶ事を優先してみんなでドタキャンする事も多くありました。「行けなくなりました」の連絡すらしないです。「ブッチでいいっしょwww」と、どうしても仕事をしないといけない状況ではない日雇い労働の人はルールもマナーもない状況が多かったです。これでは、這ってでも出てくるお婆さんのほうが派遣会社にとっても派遣先にとってもありがたい存在なんだと思いました。

最近の派遣会社は日雇いの扱いは少なくなっており、長期、直接雇用を扱うことが多く、昔とはまるで違う環境になっているみたいですね。それに、今の時代は携帯電話があるので連絡もしない「ブッチ」もそうそうはできなさそうですし。


以上、昔の思い出です。日雇い派遣は当時、アルバイトのサブのサブくらいの感覚で登録しており、掛け持ち出来ていた若くて体力のあった時もあったのですな。私にも。

                      

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