雑記

ブラック企業の思い出

2017/03/26

バブルがはじけて間もない頃。私はとある理由で団体職員を辞め、とある会社へ入社しました。新卒の就職先も無い時代、なんの取り柄も無い私は就活に惨敗し、ブラックの噂のある会社にそれを承知で入り、6か月間勤めました。「ブラック企業」なんて言葉もない頃の話で、その会社は今はもうとっくに無いので書く気になりましたが、今そのさなかに居たら、会社が特定されないように言う愚痴ですら怖くて言えなかったと思います。

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代々家族経営

十数名ほどの社員がいる小さな会社でした。敷地内に社長の自宅がありました。私は最初、「社長は休日も気が休まらないだろうな。自分の会社が敷地内にあるなんて。」と思いましたが、逆でした。

入社すると、社長の自宅のゴミ出しや、お使い、社長家族の私用の送り迎えなどをするのも秘書的な「業務」であると教わりました。

そんなこんなで社長の自宅の世話のあと、終業時間ごろにやっと本来の業務をサービス残業でとりかかれるような時期もありました。

社長の家族、親戚が上位の肩書を持っています。創業からはそこそこ年数があるのですが、実質会社内で仕事をしているのは社長本人だけで、あとの肩書のついた家族の方が仕事をしている姿を見ることはずっと無かったと聞きました。純粋な応募で入社した「社長と血筋のない社員」は、生涯昇任することはないとすぐに察しました。

ちなみに、社長は、一度も人に雇われたことがないと聞きました。学生時代のアルバイトも含め、ほんとうに一度もないなんて、珍しいです。

会社のトップが、労務問題の処理に時間を費やして企業努力ができない

一般の応募で入った人の多くはすぐ辞めるので、いつも次の募集をかける作業に追われていました。そして、辞めない派の人は、会社をよくする為に経営陣との話し合いを求めたり、あたりまえの権利を主張したり。辞めた後の人が訴えることも含め、いつも労務士さんを会社へ呼び、「労働問題の処理」に時間を費やしているようでした。

応募、対応にかけるお金と時間、そして疲れた社員がミスった始末で、今居る社員への分配、配慮が欠けていくという悪循環に陥っているようにみえました。
ドミノ倒しの写真
ある日、残業手当がまともにつくようになりました。労基の調査が入ったからかもしれません。それまでは社長家族の私的な送り迎えを堂々と言いつけられていましたが、この時からコッソリ送り迎えをお願いしてくるようになりました。

労働条件を申し出るとどうなったか

長年勤務した私の同僚が、経営陣に申し出ました。

  • 就業規則を見たことがないので見せてほしい
  • 社長宅の私用の手伝いと、会社の業務をはっきり分けてほしい。親族の送り迎え、自宅のゴミの分別も業務というなら業務時間内にさせていただきます。
  • 〇年勤続しているが、給与が見合うかどうか今一度見直していただき、どう頑張ったら昇給出来るかの仕事のアドバイスをください。

と申し出ました。そこで、経営陣の返事が誤魔化された気がして、同僚は少し追求の口調で社長へ訴える形となってしまったらしいです。長い話をしていました。その翌日、私は朝一番乗りで出社して鍵を開けて入ってみると…

労働条件を申し出た同僚の席付近に生ごみが巻き散らかされていました…

みんなが揃うと、申し出た同僚は、社長に呼ばれ、「一か月後退職をしてください」と言われました。これが解雇だと思うなら、意義を書面でどうのこうの~(肝心などうのこうの部分を忘れました(-_-;))
要するに、会社の方針と社員の意見に大きな差がある場合、どちらも譲れない場合はこうせざるおえない。あとは退職の区分(自己都合か解雇)の問題になる。との事でした。

こうやって退職者とのトラブル処理に時間を割いていく会社なのですな。

ちなみに、生ごみはまき散らしてなんかいないとの事です。なにか動物がやったのではないかと。たしかに、社長本人は本当に知らなそうでしたが、やったのは動物ではないと思います。いたったい誰がどんな事を思っているのか、本当に誰がやったのかは分からなく、あまりに疲れて周りとコミュニケーションをとらない社員同士、不信感を募らせるようになっていました。

これを機会にふっきれたように、私を含む3人が同時に退職を決めました。私が辞めた後もまた一人、また一人と退職者は続き、その都度新人が入っていたようです。求人情報誌に載っている募集はとても魅力的に見えます。面接に来る人は私が入社した当初からはぽつぽつと見えていました。

もともと小規模な上に人手がどんどん減り、そして労働問題系のトラブル対応が増えたことにより、残った人は本当に大変だったと思います。上に書いた不信感によりそれをねぎらい合う空気でもない中、どう自分を保っていたのでしょうか。

私は、都合よく逃げた後味の悪さが今もよぎります。ですが逃げたので私自身の心身をとことん痛めるまでには至りませんでした。

この会社の経営陣は、職人的スキルが高くて仕事そのものが有能でした。しかし、経営や人を使うことに向いていない上に経験もないけれど個人事業から会社設立を果たし、人をどんどん雇うようになったのだと思います。社長たちが日々上手に人を使っていたら、親族の送り迎えも、私用であろうとも、たまには快く引き受けて、いい関係もありえたかもしれないと思っています。

もしかしたらこの社長は判断力を見失うほどいろいろ病んでいたのかもしれません。治療が必要だったのではないかと気の毒に思う事もあります。

家族経営が向いている職種もあると思う

職人気質や、芸能関係、独立やのれん分けを想定して家族ぐるみでよい関係で仕事することには向いていると思います。

この後転職をした先では、私は職人でも独立を目指していた訳でもなく、薄給でも(オーナーさんごめんなさいm(__)m)家族ぐるみで持ちつもたれつ、長年お付き合いさせていただきました(‘◇’)ゞ


以上、今だから言える、ブラック企業の思い出でした。

                      

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